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ディアナ号来航6 代艦「ヘダ号」の建造 ディアナ号の乗組員が宮島村に上陸した後の1月7日(ロシア暦)、停艦したディアナ号を、日本の漁船などで曳航(えいこう)して戸田に入港させるという試みが行われた。この作業には、数百隻の小船が、沼津や由比を含めた周辺地域から動員されたという。
しかし、戸田に向けてディアナ号を引き始めた矢先、不運にも天候悪化に見舞われてしまった。ディアナ号は、海中へとその姿を消していった。その沈没地点については、いまも明らかになっていない。
ディアナ号の乗組員たちは、艦が沈没した4日後、宮島村を離れた。ロシア人の一行は2班に分かれ、陸路で戸田に向かっている。コースは沼津原を通り、江ノ浦に1泊し、西浦から真城峠を通って戸田へと入った。
沼津の原で休憩をとったロシア人一行は、原が地震の被害が少なくすんだ様子を見て、原に滞在することを幕府に申し出たという。
これに対し、幕府側は、戸田の地形が外国人の警固に適していたため、予定どおり、ロシア人を戸田へと向わせている。戸田では、乗組員のための長屋4棟が用意されたほか、士官クラスの滞在所として宝泉寺があてられた。
プチャーチンは、ディアナ号の沈没によって、ロシアへ帰る船を失ってしまったため、安政元年12月5日、幕府に対して代艦の建造申請を行った。
幕府は開国や攘夷に揺れる中であったが、7日に代艦建造を許可し、韮山代官江川太郎左衛門を建造取締役に指名した。また、村内の名主8人が、代艦建造の材料や人足の調達を担当する造船御用掛に選ばれた。
代艦の設計は、ディアナ号の所持品にあったスクーナー・オープイト号の設計図をもとに、ロシアの技術士官と日本造船世話掛(船大工の棟りょう)によって行われた。2本マストの60人乗りの木造帆船で、全長約25メートル、幅約7メートル、80から100トンほどの船となったという。材料の木材は沼津千本松原から伐採した松材が用いられた。鋼板、鉄板、釘、鋲などは幕府を通じて調達された。
代艦は80日余りで完成し、安政2年3月10日に進水式が行われた。プチャーチンは、戸田の住民らに感謝を込めて、新造船を「ヘダ号」と名付けた。
ヘダ号は日本で最初に造られた洋式帆船で完成以降も、幕府の命によって、同様のスクーナー船六隻が戸田で建造された。建造に携わった造船世話掛は、その後の日本の近代造船に大きく貢献した。(つづく)
[2005-01-14-16:39] |
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