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ディアナ号来航3 安政の大地震の被害を受け
大阪を離れたプチャーチン率いるディアナ号は、嘉永7年(1854年)10月14日に石廊崎沖に現れた。下田では、この年の5月に日米和親条約がすでに調印されていたため、外国艦船が姿を見せても市民はあまり驚かなかったという。

プチャーチンは下田湾内に投錨し、日露交渉の再開を幕府に求めたが、交渉再開はすぐにはできずに、日露双方の駆け引きが2週間ほど続いた。

結局、正式な交渉が下田市の福泉寺で開かれたのは、11月3日正午からだった。この日は妥結に至らず、日露相互主張の調整のため、後日の交渉を約束して会談は終了した。

しかし、その翌日の11月4日に大地震と大津波が日本を襲い、下田湾に停泊していたディアナ号も大きな被害を受けてしまう。世に言う「安政の大地震」である(この地震で「嘉永」でなく「安政」の元号が使われているのは、11月27日に改元されたため)。

「安政の大地震」は紀伊半島南部を震源地とし、地震の規模はマグニチュード8・4と推定されている。午前9時ごろに発生し、正午までの間に大津波が何度となく押し寄せた。その被害は九州から東北にかけての本州全域に及び、とりわけ大阪と下田が壊滅的な被害を受けたという。

下田では、大きな揺れから約15分から20分後に津波の第一波が押し寄せ、4〜6メートルの大波が正午までに7、8回あったとされている。引き潮も強烈だったようで、約800戸あった家屋のほとんどが損壊し、死者も100人以上にのぼった。

下田湾内にあったディアナ号も当然、この津波の被害を大きく受けた。

ゴンチャローフ著「日本渡航記」では、「もっとも凄絶立ったのは、海岸がたえず高く見えたり、低く見えたりする変化であった。あるときは艦と水平になるかと思うと、すぐさま6サージェン(注・約13メートル)も高く上がった。(略)胡桃のように粉微塵かと脅されるや、たちまち湾の真中へ投げ出されるという始末であった。やがて、急激な回転が始まった。報告書の記録では30分間に42回転もしたのである。(略)最後に艦は傾斜したまま、しばらく動かなくなってしまった」と乗組員の話を紹介している。

この津波で、ディアナ号の乗組員1人が死亡、2人が負傷したほか、ディアナ号も船体構成の基礎となる竜骨の一部がもぎとられ、舵(かじ)を失ってしまった。また、艦の負担を軽くするため、積載していた52門の大砲を陸に降ろすことを余儀なくされた。(つづく)


[2005-01-12-16:00]
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